マリアランドへのコメント
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5 岩石(ハンドルネーム 7VC1fUKZ 返信
ハプログループD(Y染色体)は、地中海沿岸系ヨーロッパ人の特徴があり、毛深いだけでなく、日本人の7~8割が天然パーマ又は癖毛(優性遺伝)である。
地中海沿岸のDNAを持つ日本人は氷河期時代にマンモスを追ってツァーリズム(ヨーロッパから極東への東進)を展開した。ロシア人は近世にテンの毛皮を追ってツァーリズムを展開した。アシカの毛皮狩りをしていたロシア人は極東の島で遭難した日本人と出くわした。N(Y染色体)は北欧、ウラル、シベリア、極東に広がり、ゲルマン人と遼河文明系匈奴が混血した遼河系ゲルマン人に北欧人が加わったのがロシア人で、地中海沿岸人と古遼河系先住日本人が混血した遼河系南欧人に古長江・黄河難民が加わったのが日本人である。
ロマンス諸語のルーマニアは現在、スラブ人に囲まれている。スラブ人にはハプログループR1a とNが必ずある。西スラブ人はポーランド人、スロバキア人、チェコ人等、東スラブ人はロシア人、ベラルーシ人、ウクライナ人、南スラブ人はスロベニア人、クロアチア人、セルビア人、ブルガリア人、マケドニア人等である。毛人・地中海沿岸系ヨーロッパ人(ハプログループD)が日本列島まで東進し、金髪碧眼・遼河系匈奴や遼河系先住日本人=蝦夷(ハプログループN)が北欧まで西進した。原日本人(ハプログループD)は黒海北岸のルーマニア(ロマンス諸語)から来たが、そのルーマニアは現在、スラブ系に囲まれている。一方、スラブ系のロシア人は遼河系先住日本人と同じ遼河系匈奴(ハプログループN、ウラル・アルタイ語族)に囲まれている。ロマンス諸語はハプログループEがいるイタリア、フランス、スペイン、ポルトガルで使われている。ただし、ハプログループEがいるウクライナ人はスラブ諸語である。ハプログループD(YAP+)はハプログループE(YAP-)から分かれた。
ハプログループD、E(Y染色体)は優性遺伝である天然パーマ(髪の断面が楕円形)であり、毛深く、彫りが深い。日本人の7~8割が癖毛か天然パーマであり、髪の断面は楕円形で、ヨーロッパ人と同じである。直毛と茶色の瞳は過半数を占めるO(Y染色体)に由来し、天然パーマは優性遺伝だが、青い瞳は劣性遺伝である。緯度の高い地域では、白人同様に肌が極めて白くなり、ハプログループN(Y染色体)同様に瞳が青くなる可能性がある。また、①二重瞼(眉下の皮膚が上瞼に被さっている)、②眼の位置が低く、鼻が顔の中央にある(眉間上部より立体的に鼻が垂れ下がっているため目元がくぼんで見える)、③前額部が突出し、彫りが深い、④ウェーブ(天然パーマ・クセ毛)が多く、禿げている、➄体毛や髭が多い(ヨーロッパ人並)、⑥湿った耳垢である、⑦眉が濃い、⑧眉と目の間隔が狭く、眼が額につき刺さっている、⑨口元が引っ込み、前顎が出ている、⑩後顎が角ばっている、⑪後頭部が後ろに大きく突き出している、などヨーロッパ人の特徴がある。
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4 岩石(ハンドルネーム nHZ6Vsbq 返信
最終氷河期は中近東とヨーロッパは陸続きだったので、ハプログループDEは西アジアor南ヨーロッパに入った後、DE→D(YAP+) (約6万年前、黒海北岸)、E(YAP-) (6万5200年前、地中海沿岸)に分かれた。ハプログループEはエジプトなどのアフリカ、イタリア、フランス、ドイツなどの西欧、ウクライナなどの南欧、イスラエル、イランなどの西アジア、インドなどに残った。ハプログループD=日本人の先祖(ラテン系日本固有種D-M116.1*・16.6%、D-M125*・12.0%、D-P37.1*・3.9%、D-P42・2.3%、ラテン語)は、黒海北岸(現在のウクライナ、モルドバ、ルーマニアあたり。ウクライナやポーランドではマンモスの骨で作られた住居跡が発掘されている)に住んでいた。3万9000年前にイタリアで火山の大噴火が起きた。3万年前頃から、食料となるマンモスを追って東に進み、バイカル湖畔を経由して約2万年前に寒冷化による南下を始め、アムール川、沿海州を通って、氷河期は海面が140メートル低く陸続きとなっていた樺太や北海道(この辺りまでマンモスが生息)に南下した。約1万4000年前、凍った津軽海峡を渡って東日本縄文人となった。ヨーロッパ南部(+バルカン半島・北欧系I-P19・0.4%、ロマンス諸語)→西シベリア南部(+ゲルマン系R-M207・0.4%、約2万5000年前頃、ゲルマン諸語)→バイカル湖畔(+トルコ系C-M217*・3万年前・1.9%、約2万年前、アルタイ諸語)→アムール川(+タタール系Q-P36・0.4%、インディアン語族)→沿海州(+北方ツングース系ウリチC-M86・1.2%)→樺太→北海道(約2万年前、残留組がアイヌ)→東日本(約1万4000年前)と移り住んだ。計39.1%。主に関東に住んでいた東日本縄文人は、3500年前頃、寒冷化に伴い、西日本(人口が東日本の10分の1だった)に広がり、日本海沿岸、太平洋沿岸、東シナ海沿岸、沖縄に移り住んだ。南関東のハプログループDは、平安時代には毛人=地中海沿岸系と呼ばれていた。
13,000年前のスイスのクロマニョン人を遺伝子調査したところ、ハプログループI2a (Y染色体)に属すという結果が出た。これによりハプログループIはクロマニョン人のハプロタイプであることが明らかとなった。北アメリカにおけるハプログループR1(Y染色体)の分布はハプログループX(mtDNA)と似ている。ハプログループR (Y染色体)(英: Haplogroup R-M207 (Y-DNA))とは、分子人類学で用いられる、人類の父系を示すY染色体のハプログループ(型集団)の分類で、一塩基多型が「M45」を祖型とし「M207」以下の系統に位置すると定義されるものである。西シベリアのハプログループX(mtDNA)は縄文人、アイヌ、ヨーロッパ人、中東人およびアメリカ先住民で観察される。
JCウイルスが青森、秋田、宮城、山形に約1割のEU亜型が含まれる(白人に特有タイプ)となった。ヨーロッパなどのEU亜型が東北に若干存在する。弘前・秋田・仙台など北日本の住人の一部から1〜2割の割合でヨーロッパにしかみられないポリオーマ・ウイルスA型が見つかっている。縄文人に関連する遺伝子としてATLのレトロウイルス (HTLV-1) がある。日本海沿岸・太平洋沿岸・東シナ海沿岸に多いハプログループDがいたルーマニア、中南米の国々等で見られる。秋田犬や北海道犬は、同じ日本犬でありながら、柴犬や紀州犬とは血液型が違う。犬の赤血球の糖質によって、A型とG型に分けられる。世界の38品種の犬を調べたところ、柴犬(古代犬種)や甲斐犬、紀州犬などの和犬やアジアに生息する犬は、A型、G型の血液を持つ。ヨーロッパではA型の血液しか持たない。同じ和犬の中でも秋田犬(古代犬種)と北海道犬は、ヨーロッパ犬と同じA型しか持たない。秋田犬と北海道犬の祖先は、アジアではなく、ヨーロッパから来たのではないか。日本テレビの「特報リサーチで2001年3月18日」において、秋田犬や北海道犬の血液型は、ヨーロッパ系の犬と同じく全てA型であり、東洋の犬のようにG型の犬が存在しないことが報告された。犬の赤血球糖脂質にはNアセチルノイラミン酸を持つA型と、Nグイコルノイラミン酸を持つG型がある。秋田犬はチャウチャウや柴犬に近い古代犬種である。秋田犬は欧州からロシア、北海道を経て秋田に土着した犬種である。秋田犬や北海道犬に似たシベリアンハスキーも古代犬種である。
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3 岩石(ハンドルネーム eQ7M8oZP 返信
ヨーロッパから広がったネアンデルタール人は日本にも旧石器時代中期の12万年以上前から住んでいた。ネアンデルタール人は旧石器時代の石器の作製技術を有し、火を積極的に使用していた。ヨーロッパのホモ・サピエンスはネアンデルタール人を絶滅させたが、日本ではネアンデルタール人と共生していた。ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は交配していた。ヨーロッパの白人にはネアンデルタール人のY染色体遺伝子が含まれていないが、日本人にはネアンデルタール人のY染色体遺伝子が少し残っている。つまり、日本では緩やかに混血して共生していた。ネアンデルタール人は、北方の気候に適応して、①現在のヨーロッパ人以上に白い肌、②金色や赤い色の毛、③青い目や灰色の目、となる。青い瞳等は、ネアンデルタール人→最初の日本人(ハプログループN)→北東亜平野(現在は大陸棚となっている東シナ海や黄海や志那大陸の東沿岸及び台湾や沖縄や日本列島は陸続きだった。瀬戸内海も陸地でナウマンゾウが住んでいたが、1万年前に海水が流れ込んだ)で匈奴(ハプログループN)→西シベリアでヨーロッパ人の先祖(ハプログループR)と受け継がれていった。
明るい色彩の目や髪はハプログループNの割合が大きいサーミ人(ノルウェー)とフィン人 (フィンランド)に特に多い。サーミ人やフィン人は銀髪だが、匈奴系日本人(ハプログループN)には顔が白く金髪がかった銀髪の者や青い瞳に近い者もいる。特に東北には顔が真っ白で、青い瞳(劣性遺伝)や金髪の者がいる。九州北部や中部以北にもそれに近い者がいる。
毛人・地中海沿岸系ヨーロッパ人(ハプログループD)が日本列島まで東進し、金髪碧眼・遼河系匈奴や遼河系先住日本人=蝦夷(ハプログループN)が北欧まで西進した。
原日本人(ハプログループD)は黒海北岸のルーマニア(ロマンス諸語)から来たが、そのルーマニアは現在、スラブ系に囲まれている。スラブ人にはハプログループR1a とNが必ずある。西スラブ人はポーランド人、スロバキア人、チェコ人等、東スラブ人はロシア人、ベラルーシ人、ウクライナ人、南スラブ人はスロベニア人、クロアチア人、セルビア人、ブルガリア人、マケドニア人等である。一方、スラブ系のロシア人は遼河系先住日本人と同じ遼河系匈奴(ハプログループN、ウラル・アルタイ語族)に囲まれている。ロマンス諸語はハプログループEがいるイタリア、フランス、スペイン、ポルトガルで使われている。ただし、ハプログループEがいるウクライナ人はスラブ諸語である。ハプログループD(YAP+)はハプログループE(YAP-)から分かれた。
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2 岩石(ハンドルネーム 28Evpoji 返信
日本の国別の地勢、風俗、気質などを書いた地誌『人国記』(作者不詳、成立年代も室町末期らしい)という本において陸奥国のところに「この国の人は日の本の故にや、色白くして眼の色青きこと多し」と驚くべき記述がある。東北地方の人たちが白人の遺伝子を持っているのなら、青い眼の人が生まれるのも納得がいく。秋田美人などの雪国の色白美人の秘密は白人の血が混じっているためなのかも知れない。「この国の人は日の本の故にや」という記述に注目すると、この文章を読んでまず思い出したのが中国の歴史書『旧唐書』倭国日本伝の記述で、「日本国は倭国の別種なり。その国日辺に在るを以て、故に日本を以て名となす」「あるいはいう、日本は旧小国、倭国の地を併せたりと」ここにはかつて倭国と日本が別の国であったことが記されている。つまり『人国記』の「この国の人は日の本の故にや、色白くして眼の色青きこと多し」という記述は、「この国の人は「日の本」の国の人間のため、肌の色が白く、瞳の色が青いことが多い」という意味ではないか。この本(岩波文庫)の「日の本」の注釈では「日が昇るもと(東)の国」と解説しているが、それでは「色白くして眼の色青きこと多し」の理由説明にならず、文章の意味が通らない故に「日の本」=異人種=蝦夷の住む土地という認識で、「日の本の故にや」と書かれたと思われる。この「日の本」という国については『常陸国風土記』には「この地は、本(もと)、日高見国」という記述や『日本書紀』の「東夷の中に日高見国あり」という記述で記録されている。日高見国とは「日つ上の国」の意で、日の出るほうにある国とされている。つまり「日の本」という意味である。
現代日本人でヨーロッパ人に近い人々は、青森28%、静岡18%、沖縄5%だった。東北を中心に青い瞳もしくはそれに類する人が1~2割いる。東北には小さい時は瞳が青く、だんだん茶色の瞳になっていく人も結構いる。東北には赤ん坊の時に金髪の者がいる。大人になっても地毛が金髪の者がいる。また、九州などの南方にもヘーゼル色の目の人たちがいる。個人的経験だが、中部地方にも、①ヘーゼル色の瞳を飛び越えて瞳が明るい緑色と茶色の中間(サーミ人やフィン人との目の色と同じ)で青い瞳に近かった者、②金髪がかった銀髪(フィン人と同じ髪の毛の色で、髪の毛が細かった)者、がいた。
日本人の瞳は一般的に「黒」だと思われているが、正確には「茶色」である。東北と九州に多いのは瞳の色が極端に明るい(茶色い)日本人である。彼らの第一印象は「どこか日本人離れした顔」や「外国人っぽい」と思われることが多い。九州では特に明るい色の瞳を持つ人の人口割合が多い。東北では青と茶色の色素がミックスしたような不思議な青眼を持つ人もいる。「青×茶色」の茶色中の黄色味が強い場合は青い目と合わさって緑色っぽい瞳に見えることもある。東北出身の女性と結婚したAは待望の子供ができて大喜びしたが、生まれてきた子供の瞳はAとも奥さんとも似つかない青っぽい不思議な色の瞳をしていた。DNA鑑定の結果、その子はやはり正真正銘Aと奥さんの子供なのである。確かに、この子は瞳の色以外は完全に「日本人の赤ちゃんの顔」なのである。子供を育てていくうちに子供の瞳の色が暗い色に変わった。幼稚園に入りしばらくたつと、瞳の色も違和感のない程度に茶色く、「誰が見てもAさんの子供とわかる」くらい瓜二つの「日本人顔」になった。奥さんの方の親戚の多くがとても明るい色の瞳を持っている人が多いことが分かった。そのうちの一人はAさんの子供と同じように「赤ん坊のころは瞳の色が違った(青っぽい不思議な瞳)」だった。大人になってからも青い目だった人はめったにいないが、東北地方には「赤ちゃんの頃だけは明るい目だった」という人はいて、明るい瞳の遺伝子を持っている人も多い。
東北大学の調査によると、宮城県から424人の目を調査したところ、①完全に茶色の目=359人→84.7%、②いくつか青い部分もある=43人→10.1%、③青い目だけれども全体の半分以下しかない=15人→3.5%、④青い目がほとんどだけれども中心は茶色=6人→1.4%、⑤完全に青い目=1人→0.2%、となった。この調査が本当であれば、100人に1-2人は、青い瞳を持った人。また、部分的に青い瞳を持った人たちも含めれば、100人に5~15人もの人たちが青い瞳をもっている。デンマークのDNA研究者によると、日本で青い瞳を持った人たちは6000年~10000年前にどこから来たのかは不明。
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1 岩石(ハンドルネーム yYN93doT 返信
7300年前の喜界島超巨大噴火以後に遼河文明(紀元前6200年前~紀元前500年頃、ハプログループN、ウラル語族)と黄河文明(紀元前6800年~紀元前1600年、ハプログループO2=旧O3、シナ・チベット語族)が起こり、難を逃れた縄文文明人がこの2つの文明に深く関わっていた。
満州や朝鮮に住んでいたハプログループNは北(1万2000年前)に移動し、北アジア(極東、西シベリア、ウラル地域)に住んだ。この人たちは金髪碧眼ではない。
金髪碧眼のハプログループNが青森県の三内丸山遺跡を担った。この人たちは栗や栃の実などを栽培していた耕作地が疲弊してきたため、青森から関東方面に向けて移動していった。日本では3500年前頃から寒冷化に伴い、東日本縄文人(東北のハプログループN、関東のハプログループD)が西日本に流入し始めた。縄文文明と遼河文明は関係が深かったことから、遼河文明人も縄文文明人の金髪碧眼を受け継いだ。
遼河沿岸地帯は1万2000年前頃から4000年前頃までは豊かな水資源に恵まれており、深い湖沼群や森林が存在した。その後、遼河文明人は、約4,200年前頃から始まった気候変動により砂漠化したことから、紀元前頃?に狭義の匈奴(ハプログループN)となり、遼河沿岸から西に移動した。西に移動する途中の匈奴が金髪碧眼のソグド人である。その頃の西アジアにはハプログループRがいたので、ソグド人はこれと混血した。その証拠にハンガリー人はハプログループNとRが混血している。これにより、金髪碧眼はハプログループRに受け継がれた。現在は北欧(ハプログループNのフィンランド人、バルト3国、ウラル語族)や東欧(ハンガリー人、ウラル語族、もとはハプログループNが多かったが、現在はヨーロッパ人の遺伝子が多くなっている)に住んでいる。
後に、(狭義の)匈奴にモンゴル(ハプログループC2、アルタイ諸語)を含めて(広義の)匈奴と言うようになった。漢帝国はモンゴルも含めた(広義の)匈奴(ハプログループC2とN)の属国だった。遼河はモンゴル東部地域から中国東北地方に亘って流れている。
新石器時代の中国東北部や東部沿岸の遺跡から縄文土器が出土している。遼河系先住日本人(ハプログループN、ウラル語族)=遼河文明系匈奴(ハプログループN、ウラル語族)であり、日本の古墳は匈奴由来である。黄河文明人に侵略された長江文明人が東南アジアや東アジアに逃げたが、その一部は日本列島に逃げ込んだ。
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